北海道に森林王国の復活を

元 北海道大学農学部教授
社団法人北海道林産技術普及協会顧問  宮 島  寛

 

 国産材がますます使われなくなる

 平成13年度の林業白書によれば、12年度のわが国の木材総需要量は1100万㎥で、しいたけ原木80万㎥と薪炭材94万㎥を除く、用材総需要量9,926万㎥のうち国産材は1,802万㎥で、自給率18.2%となっている。1955(昭和30)年からのわが国の木材需要と供給を図1に示す。この期間の木材需要量の最大は1973(昭和48)年の12千万㎥で、これはオイルショックの年である。昭和30年代初期の輸入材は、ほとんどが合板用材のラワンであったが、次第に住宅内装材用にもラワンが使われはじめ、さらに木造住宅の構造材にも輸入針葉樹材が使われるようになって、その輸入量は増加し、1969(昭和44)年には、木材供給における輸入材が国産材の量を上回るようになり、国産材の供給量は次第に減じ、最近では18%という非常に低い自給率である。

図1 わが国の木材需給

一方、1千万haを超す人工林を含む2.5千万haの森林には、39億㎥の蓄積があり、資源は人工林を中心に平成711年の4年間に毎年およそ9千万㎥ずつ増加している(面積と蓄積は20003月末の値で、平成13年度林業白書による)。この値は、最近の国産材の供給量と比べ、非常に大きいといえる。ヤマの木はどんどん育っているが、さっぱり使われていないということである。1966年の蓄積は18.9億㎥であったのでの、数値では34年間でわが国の森林資源は倍増したことになる。年平均では5.9千万㎥の増加である。1966年の用材総需要量は7,687万㎥、自給率は67.4%であったが、1999年はそれぞれ9,781万㎥と19.2%で、国産材の供給量は5,185万㎥から1,802万㎥に減じた。34年間に森林蓄積は倍増したが、出材は34.8%に激減した。

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 どうして国産材は使われないか?

 北海道の製材について簡単明瞭に言えば、「輸入材は注文どおりに乾燥、かんな仕上げがされ、寸法も正確で、かつ欲しい量が供給され、価格が安い。道材では乾燥材は少なく、乾燥したといっても不十分なものが多く、寸法不足もあり、良質材のまとまった量を集めることが難しく、値段も高い」ということになる。大工さんにも「昨日までカラスがとまっていた木はいやだ」といわれている。だいぶ前の製材屋の話だが、「トドマツの造林木から小角材を挽いておいたら、住宅メーカーの若い男が来て、買っていった。あいつ大学出だから木のこと知らないで買っていったが、あんな軽い材、棟梁なら買わないな」。このトドマツ造林木も新得の関さんのツーバイフォー材専用の工場のように、規定どおりに製材、乾燥し、4面かんな仕上げで出荷すれば売れる製品となる。道内の古い製材工場で、国有林材や道有林材を頼りにしてきたところは、もう経営はできないであろう。これはニシン漁のように「昔はいかったな」という回顧だけが残っている。

 全国的な問題は、最も量が多いスギ造林木に材質上の欠点が多いことである。もともとスギは軟らかい材で、年輪幅を約3mm以下にしないと、良材とはならない。昔の「木構造設計規準」には「年輪幅が6mmを超えるものについては許容応力度を上記の値の70%とする」と明記されていた。スギ材は、年輪幅が6mm以上になれば、材質が劣ることが古くから知られていた。奈良県吉野地方では、太さの生長をできるだけ抑えるためhaあたり8,00012,000本という密植を行い、生長にあわせ除伐の後、数回の間伐を繰り返し、200年かけて胸高直径1mの大径木を育てていた。この木では平均年輪幅は約2.5mmとなる。髄から樹皮まで年輪幅がそろっているものが、高く評価されたので、初期の肥大生長を抑えるために密植された。ところが戦後のスギ植栽は3,000本/ha程度となり、髄に近い部分の年輪幅が広く、徐々に狭くなり、年輪幅は不均一である。そして水くい材の発生が多くみられるという報告がある。東京大学千葉演習林の挿し木スギ品種試験の結果(三輪雄四郎:日本木材学会研究分科会報告 木材の科学と利用技術 U5.スギ、1991)によれば32品種のうち、心材含水率72%以下が7品種、100%以上20品種である。このようにスギ心材の高含水率に起因する樹幹の凍裂発生が各地のスギ造林地にみられる。トドマツも水くい材の発生が多いが、その発生原因として枯れ枝と根からの嫌気性バクテリアの侵入があげられている。

図2 北海道における木材の需給

しかし、スギの場合、水くい材発生の原因については究明されていないようである。

 スギ造林木心材は高含水率のため乾燥に日数がかかり、かつ低密度で力学的性質にも劣るのであれば、乾燥容易なヨーロッパトウヒや北米のSPF材(spruce-pine-fir)の輸入材にはかなわない。

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 北海道における木材の需要と供給

 1949(昭和24)年から2001年までの北海道における木材需給の変化(北海道林業統計による)を図2に示す。この期間の需要量の最大は1973年のオイルショックの年で1,412万㎥。全国の最大値と同じ年である。この年の道産材供給量は1,042万㎥で総需要量の73.8%である。輸入材が道産材より多くなったのは1989年で、2001年には総需要量864万㎥、道産材供給量は313万㎥で36.3%に相当する。全国での自給率が18%であるので、北海道では地元材がまだ使われているといえる。

図3 道材丸太の価格変動

 つぎに、北海道林業統計による道材丸太の価格変動を図3に示す。図の数値は直径で、エゾマツは長さ3.65m3等、カラマツは3.65mで、品等込み、ナラは長さ2.4m2等の値である。エゾマツ丸太の㎥あたりの価格は北見で1950年に2,160円、翌年には5,400円となり、以後は多少の上がり下がりはあるが、1959年までは7,0009,000円で推移し、1969年には12,200円となり、1973年には21,200円、さらにこの期間の最高値は1980年の30,200円(札幌では32,400円)である。2001年には15,60016,800円という値である。私事であるが、1951年に北海道林務部に就職したときの月給は、このときのエゾマツ3等丸太1㎥の値5,400円とほぼ同じであった。現在、給料は30倍以上になったが、エゾマツ丸太の価格は3倍に過ぎない。これでは50年前に成り立った林業は、人件費に押しつぶされてやっていけない。

 カラマツの価格は1973年から記載されており、9,60013,000円/㎥で推移し、この期間の最高値は1985年の14,040円(北見)である。最近は価格が下がり、2001年には9,1009,300円である。

 ナラは北海道の広葉樹の王様といわれ、インチ材として欧米各国に輸出されてきた。特に戦後の食糧難のときには、カバ、セン、シナなどの広葉樹合板とともにわが国の貴重な輸出資源として外貨をかせぎ、食糧を輸入し、飢えをしのぐことができたのである。このナラの丸太は直径がエゾマツより大きいのに、1972年までエゾマツと価格にあまり差がなく経過していた。しかし、1973年からナラの価格が上がりだし、1990年には最高値の93,600円となった。その後急激に下がり、1998年に39,600円となり、以後同程度の価格となっている。北海道の天然林のナラ(ミズナラ)は、一般に生長が悪く、年輪幅が1mm前後から2mmまでのものが多く、このためナラ類としては材が軟らかく、家具・建具への加工が楽であった。北米のホワイト・オークは非常に硬く、酒類の樽には適するが、乾燥が非常にむずかしく、家具・建具、内装用には道材が好まれた。この貴重な資源もわずかな期間に伐りつくされ、外国のナラを輸入する時代になってしまった。

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 米国は、世界最大の木材輸入国に

米国における針葉樹製材の1977年から2001年までの需要と供給(WWPA資料)を図4に示す。かつて北米西海岸のカナダのブリティッシュ・コロンビア州から米国のワシントン州、オレゴン州にはベイマツ(アメリカトガサワラ)、ベイスギ(ネズコ属)、ベイツガ(ツガ属)などの針葉樹の大木が茂っていた。とくにベイマツは直径3m、樹高100mに近い大木が多かった。この写真は、1920年ころの西部の造材現場を記録した写真集の表紙である。これらの巨大資源は西部開拓の初期に伐倒された。この西海岸地方は、落雷による山火事の発生が多いので、長い間に山火事の後に生き残る樹種が出てきた。その一つがベイマツである。この性質を利用し、ベイマツを伐採し、必要な丸太を搬出した後に山焼きをして、他の樹木、下草を焼き払い、ベイマツのまつかさを開かせ、発芽を促進させた。このようにしてできたベイマツの純林が、二次林とよばれ、その7080年のものが、原生林伐採後にベイマツを提供してきた。この伐採後の山焼きは1980年代の初期まで行われてきたが、すごい黒煙が空を被い、公害といわれて行われなくなり、苗木の植栽に代わったと聞いている。

 西部地区が米国における針葉樹材の主産地の位置を開拓以来維持してきたが、1990年ころから生産量が低下し、19932001年では153175億ボード・フィート(BF)の製材生産量となっている。米国における製材の材積計算は、2×42×6….という呼称寸法(単位インチ)にもとづいており、それぞれを乾燥して、4面かんな仕上げした実寸法1- 1/2×3-1/21- 1/2×5-1/2……より過大な数値となっている。また各寸法により呼称寸法と実寸法の比が異なるので、実寸法の㎥への正確な換算ができないので、原表とおりのBFで記載した。乾燥材材積の実寸法㎥への換算は、1000BF値に、2×41.5472×61.6212×81.603 2×101.6362×121.658をそれぞれ乗じて行う。

 米国で注目すべきことは、南部の昔のワタ畑跡に植栽したサザンパインからの製材品の産出量である。1977年の生産量は西部の半分以下であったが、徐々に生産量を上げ、1995年以降は西部の生産量とほとんど同じになっている。サザンパイン(Southern pine)は南部地方のLongleaf pineNorth Carolina州東部から南へFlorida州及び西へTexas州東部)、Shortleaf pineNew York州及びNew Jersey州南東部から南方へFlorida州北部及び西方へTexas州東部とOklahoma州)、Loblolly pineMaryland州から南方へ大西洋岸平地からPiedmont台地、さらにFlorida州及び西へTexas州東部)、Slash pineFlorida州、South Carolina州、Georgia州、Alabama州、Mississippi州及びLouisiana州ミシシッピ川東側)の4主要樹種ほかを含む総称で、これらのパイン材はいずれも生長よく、材密度が高く、許容応力度はベイマツの上におかれている。用途としては、ツーバイフォー材には硬すぎるので、構造用集成材、家具、建具、内装材、各種器具などに適すと思われる。このように、かつて膨大な天然資源を誇った米国においても造林木が大きな役割をもつ時代になったといえよう。

図4 米国のおける針葉樹製材の需給量

 さらに米国において注目すべきことは、輸入材の急増である。1995年から輸入材の量は西部生産量を上回るようになった。この輸入の大部分はカナダからである。2001年の針葉樹製材輸入量は200BF(概略3,200万㎥)で、うち187BFがカナダからである。さらに針葉樹丸太は輸入総量3.94BFのうちカナダから3.84BFである。同年の輸出は針葉樹丸太8.79BF、同製材9.62BFで、輸入量の10%以下の数値である。わが国の2000年の製材輸入量は1,591万㎥、製材用丸太の輸入量1,224万㎥であるので、米国の輸入量の方が多い。

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 カナダの木材産出量

 カナダ天然資源局のNational Forestry Database (http://www.nrcan.gc.ca/cfs/proj/ieph/nfdp) で見られる19402000年までの60年間のカナダにおける用材生産量を図5に示す。パルプ材を含む用材総量は1940年に5,571万㎥であったが、60年後に19,737万㎥と3.5倍に増加している。しかし、パルプ材については1974年に4,821万㎥という大きな値があるが、その後3千万㎥前後の値で推移している。60年間で需要が大きく伸びたのが、一般用材である。194046年には3千万㎥前後であったものが、50年代には4千万㎥台、60年代には57千万㎥台に、さらに70年代末には1億㎥に達し、2000年には16千万㎥を超え、60年間に5倍の産出量となった。最近の産出量の増加はカナダから米国への針葉樹製材の輸出が増えたことが大きな原因となっている。

 カナダでは州ごとに針葉樹、広葉樹について年間許容伐採量が決められている。19702000年の30年間のカナダ全国における年間許容伐採量と伐採実績との対比を図6(出所は図5と同じ)に示す。

図5  カナダにおける用材生産量
図6 カナダにおける年間許容伐採量と収穫量

 針葉樹材については、19841989年の間と19992000年にはほとんど年間許容伐採量に近い量が伐採されている。広葉樹材については、伐採量は許容量よりかなり少なく、余裕があるとみられる。このようにカナダにおいても針葉樹材の伐採量はほとんど限界であり、米国への輸出量が増大しているので、他国への輸出量を減らしているのが現状である。北海道のツーバイフォー建築業界では、カナダの製材供給事情をかなり前から予測し、これからは外材に頼らず、道材を使うことを考え、道立林産試験場の技術指導のもとに前述の関さん(故人)にツーバイフォー材生産をお願いしたのである。

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 林力増強計画の“質より量”は誤り

 1954年5月9〜10日の旋風と9月26日夜半から翌朝にかけて北海道を北上した15号台風により全道で、2,700万㎥という膨大な風倒木、折損木を生じた。この量は、当時の道内における需要量の数年分に相当した。戦争末期の北海道においては、新聞社は北海道新聞社1社に統合され、タプロイド版の朝刊のみが発行されていた。戦後は徐々にページ数を増やし現在の大きさに戻り、夕刊紙の北海タイムスが発行され、雑誌、書籍類の発行も増え、紙の需要が伸びてきた。しかし戦時中の過伐による森林破壊の回復を目指すという気運もあり、木造住宅の代わりにブロック住宅をすすめるという政策もあり、パルプ会社としては、原料入手に頭を悩ましていた時の風害木の出現は、台風の贈り物でもあった。林業にとっては未曾有の大被害であったが。この大風害を報じた北方林業1954年12月号に、「風倒木1,800万㎥(注:風害直後の算定)といえば平均年伐採量の4倍にも当たる。しかも冬山造材準備期にあったことや、処分済みで伐り出し中の原木の上に風倒木がおおいかぶさったこと、被害地が奥地で搬出路をふさいでいることなど数々の悪条件のため、こんごの伐採計画に重大な支障を与えることが当然予想される。喜んでいるのはパルプ業界と噂され、手持のある製材業界では手持原木の値下りをおそれている。倒木の出回りとともに業界の混乱はさけられないようである。(編集部)」と記載されている。

 この風害木の処理後のパルプ材の供給源として提案されたのが、生長の悪い広葉樹の天然林を皆伐し、そのあとに拡大造林を行うという計画であった。国有林ではトドマツ、民有林ではカラマツが主要造林樹種で、これらの生長量を見込んでの、生長以前に天然林を伐採するという計画である。「質より量」とは何ごとぞと感じ、この拡大造林計画がテーマの日本林学会北海道支部のシンポジウムで、疑問点を質問したところ、「『木材需要構成が質から量に転換しているというが、ここでいう量とは重さのことか、それならばカラマツのよう軽い木よりカバ類のような重い木を増強したらいいではないか』という聞くのもバカらしい質問が、日本林学会北海道支部の『北海道の林力増強計画と林産利用』というシンポジウムにあったが、象牙の塔にこもるものはあい変らず世間知らずの朴念仁で、その『物知らず』には全くあきれた。」と道林務部発行の「林」1958年2月号の「ねんりん」に書かれた。

 これについての見解を、「『質より量』への疑問」と題して、「林」同年4月号に掲載させていただいた。この「質より量」の出どこは、森林資源対策協議会訳「来るべき木材時代」1953年発行(原本:Egon GlesingerThe Coming Age of Wood1949)であるが、この内容は、当時製材や合板に加工した残りの材を、捨てるか、ただ燃やしていたのでの、残材の利用例として削片板、繊維版などのほか化学的利用法を紹介したものである。当時、この本は木材の利用に関係する人にとってバイブルであった。しかし、拡大造林の計画では、残材利用のみが主役となり、残材みたいなものだけが材料としてあればよい、ということになり、「質より量」となってしまった。実際にはパルプ材供給計画であり、いますぐ材料がほしいパルプ業界への小・中径の広葉樹の伐採計画であった。胸高直径20cm未満を低質広葉樹材とし、伐採したのである。ああ、大径の広葉樹銘木だって昔は小・中径木であったはずだ、などといっても、まったくの少数派であった。1960年ころ道南のブナの調査に行ったことがある。秋晴れの日で、全山ブナの黄葉に覆われ、そこに点在するツタウルシの真紅の葉が素晴らしかった。翌年行ってみると、皆伐されており、すべてパルプ材として出材されたという。そして現在、道内のパルプ工場では、道産チップをほとんど使ってくれないと聞く。将来の大径の銘木は、小・中径木のうちにパルプ材として伐られてしまったので、良質広葉樹資源は激減した。

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 これからの造林木の条件

 わが国の最大の造林樹種はスギである。スギ材には前述のように、低密度と心材の高含水率、さらに心材が高含水率の樹幹には冬季の低温により凍裂を生ずる。幹に凍裂が生じた立木には価値がなくなる。吉野スギのような優れた材質の大径木を育成するには、超密植、除伐、数度の間伐、200年という長伐期が必要で、この育成林業をこれからはじめるわけにはいかない。林業は、植栽の経費を少なくし、収穫年数を短くしなければ成り立たない。元利合計=元金×1.0pnという複利計算式がある。ここでpは利率(%)、nは年数である。林業低迷のこのごろ、むかしからの古い林業地について、haあたり整地、植栽、育成に300万〜400万円かかったが、材価が下がり、立木代が100万円になればよい方だ、といわれている。これでは林業は成立しない。

 ニュージーランドでは、アメリカ・カリフォルニア州モントレー地方から偶然導入されたラジアータマツを生長速く、材質が家具・建具、合板材、構造材、内・外装材、パルプ材という広い範囲に使えるnew cropに育種によりつくりかえ、除伐、間伐を極端に少なくした25年育成林業をすでに20年も前に確立した。30㎥/ha・年の生長量で、p10以上でないと林業は成立しないという。熱帯地方で行われているバイオマス林業では4050㎥/ha・年の生長量があるが、10年前後で収穫するので、土壌への岩石等の分解による微量成分の補給が間に合わず、繰り返し植林は2回程度で、他の場所へ移ってつぎの植林を行うと聞いている。このようなバイオマス林業はわが国ではできない。

 北海道の針葉樹造林樹種としては、道立林業試験場で開発されたグイマツとカラマツの交配種グリームが現在のところもっとも有望である。これにさらに改良を加え、30年で胸高直径40cm、樹高25mのもの250本/haできるようになれば、「グリームnew crop」と名づけてよいと思う。そしてその優良木から組織培養で苗木を育てる技術も開発、普及してもらいたい。むかしの林業家必携によれば胸高直径40cm、樹高25mで幹材積は1.39㎥であるので、250本で347㎥であるから11㎥/ha・年の生長量で、ニュージーランドの生長量の1/3ちょっとしかない。せめてこのぐらいから森林王国復活をはじめてほしい。現在、北海道の人工林は152haである。このうち林木の育成条件がよい70haを選び、ここでグリームnew cropの植栽を行えば、年に770万㎥の生長量が得られる。造材歩止りを70%とすれば539万㎥の素材が生産されることになる。現在(平成13年度)の需要量はパルプ用499万㎥を含めて865万㎥であるので、その62%をまかなうことができる。あと残りの造林地と天然林からの出材で、道内需要の大部分に供給できると思われる。

北海道では、道立林業試験場はつねに林木の材質試験を道立林産試験場に依頼し、共同で研究を進めていけるという利点を持っている。これから研究を進めて欲しいものとして、広葉樹ではケヤキがあげられる。札幌では伊藤邸にすばらしいのがあり、旭川の常盤公園でも大きくなっている。いままでの広葉樹造林では、ほとんどが密植したために太らず、失敗している。100300本/ha植えにして、幹の太さが数cmのときに地上高47m程度までの枝を生長にあわせて徐々に払い、無節材の生産を図ることが必要である。道産の針広優良樹種についても各樹種と植栽地について最適の育成方法を見出してもらいたい。

そして、樹を30年で育て、100年大丈夫な住宅を建てる育林から住宅建設までの技術を確立してほしい。(当会 顧問)