林務行政(林産試験場)とカラマツ工場の変遷と将来

株式会社サトウ代表取締役社長
社団法人北海道林産技術普及協会副会長 秋元 紀幸

 昨年11月3日(文化の日)の道新の一面に「立ち枯れる木材産業」の大見出しの記事が掲載され、業界にある種の物議を醸し出した事は、まだ記憶に新しいことです。そして、私もそれに「ショッキング」を覚えた次第です。しかし、一方でカラマツ業界を冷静に客観的に見る機会も与えてくれた事も事実でありました。

 ここに、林産技術普及協会の創立50周年に当り「カラマツ工場の変遷と将来」を纏めてみたいと思います。

 弊社が、カラマツ製材工場を始める動機は、本業の製粉・雑穀業の閑散期の従業員の為の雇用対策でありました。当初は手作りの丸鋸製材装置と、全て素人集団の従業員でのスタートでした。取扱生産品目は「東京オリンピック」の為の施設と、交通アクセス整備の為の工事に使用される地下鉄材と土木資材が多くを占め、生産量は少なく、且つ、供給も当方の都合で季節的な要因で制限があり、取引先から大変不評を買いました。その様な事を踏まえ、翌昭和37年に本格的に帯鋸盤を導入した「カラマツ製材工場」を通年操業した次第です。当時、数少ない同業他社も弊社と同様に生産規模は小さく、家内工業の域を脱しておりませんでした。又我々に向ける木材業界の目は「カラマツ工場」は製材工場に非ずでありました。

 昭和40年以降は、我国の経済発展と共に「カラマツ製品の需要」は輸出梱包材を中心とした産業用資材へと変化を致しました。それによって、寸法精度等高品質の製品を要求される頻度が多くなり「カラマツ工場」も、これらに対応可能な設備導入が必要となって参りました。

 この様な事態を踏まえ、私と社長が初めて「林産試験場」を訪問したのが昭和43年でありました。当時の技術科長北澤暢夫氏にお会いして、鋸目立、製材加工技術及び製材機等全般に亘って誠に丁寧な御指導を頂き、その後新設備の導入については、先進地に同行と助言を頂き、「タンデム式ツインバンドソー」「往復挽本機」等、当時としては画期的な機械を採用した小径木合理化工場を昭和48年に完成させた次第です。あの時程「林産試験場」の存在を力強く、且つ身近に感じた事はありません。弊社が今日を成し遂げた一要因であると感謝を申し上げている次第です。

 これを契機に生産効率や単純付加価値化を前提とした、北海道の「カラマツ工場」の近代化が促進されたと言っても過言ではありません。

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 そして、この時に相前後して林務行政及び林産試験場は、カラマツの有効利用の為と北海道式脱脂乾燥技術等、カラマツの加工技術開発の為に諸施策を以って事業の支援と推進に御尽力を頂きました。この事につきましても、業界人として衷心から感謝と御礼を申し上げる次第です。

 結果として、昭和50年の全道のカラマツ工場の原木消費量は約16万、十年後には70万と飛躍的な伸びを示したわけであります。その後に於いても、カラマツ製品の需要構造の変化は日進月歩であり、工場の設備も市場のニーズに対応出来る様、量産体制へ進展し、現在の原木消費量は、百万の大台を越える状況であります。

 只今、カラマツ業界は我国の資源背景が天然林から人工林へと転換する好機の真只中にあり、需要構造も新たな時代へ突入を致しております。又、市場で競合する諸外国からの輸入品の問題も、我国の国産材産地の最重要課題であります。カラマツ材が市場で如何に戦い抜くか、将来戦略をたてる正念場と思う次第です。

 この様な時こそ、専門研究機関の林産試験場との連携を深め、難問を乗り切る必要性があると確信する次第です。 

 林産試験場には、木材に関する基礎研究はもとより、ローテク・ハイテクを含めた莫大な技術の蓄積がある事と思いますので、北海道の人工林振興の為に寄与頂き度いと思う次第です。しかし、専門研究機関も近い将来運営方法が、独立行政法人化される事に危惧の念を抱く者であります。

 今後の林産技術普及協会の活動の主要目的の一つに、前述の危惧の念を払拭する為の事業を積極的に取り入れて頂く事をお願いする次第です。

 最後に林産技術普及協会の創立50周年を心から慶び申し上げ、又木材業界、並びに関連団体の御発展を心から御祈念申し上げ、私の提言といたします。