林産技術普及協会創立50周年に寄せて

麻生木材工業株式会社 代表取締役社長
社団法人北海道林産技術普及協会 常任理事 麻 生  繁

 北海道林産技術普及協会が歩んだ半世紀、ひと口に言って早いものだなという実感です。「50年」を表現するのは容易ですが、道立林産試験場の試験研究の歴史と共に歩んできた協会の重さもまた大変なモノだなと改めて振り返るこの頃です。

 木材の試験研究という時代が求める必然性と木材産業の振興に寄与するという崇高な理念のもとに、戦後の復興緒についたばかりの昭和25年北海道立林業指導所で創立されてから今日まで、北海道立林産試験場はまさに「木材を科学する」国内トップクラスの試験研究機関として技術開発、商品開発に果たしてこられた業績に深く感銘し、敬意を表します。

 道立林産試験場との関わりは昭和50年代半ばでした。当時の北海道木材青年経営者協議会のメンバーに加入させて頂き、活動に参加した時代にさかのぼります。とりわけ56年全道会長に指名され、最初に開いた旭川での役員会が林産試験場を見学させて頂く機会になり、研究者の皆さんとの意見交換の場を設けて頂いたのが思い出されます。

 場長さんは千廣俊幸さんでした。意見交換の場ではメンバーから「何よりも業界のための試験研究機関であるはずだから、内部評価もさることながら国民の皆さんにもっと役立つものを取り上げて欲しい・・・・」などと、若気の至りに勝手な発言の幾つかを思い出すのですが、そんなことがあって関係の皆さんと木材青壮年協議会との繋がりができ、林産技術普及協会とも関わりを持つことができたのでした。木材乾燥をはじめ加工技術と、木材の利用について多くのご指導を頂いてきた50年でありました。

 当時取り組んでおられた課題の一つに「乾燥問題」があり、プレ乾燥から本乾燥に関わる研究が盛んだったと記憶しています。今日では多くの製材関連工場が当たり前のように乾燥施設を持ち、人乾材が建築部材や家具材などに利用され重宝がられていますのも、試験場の貴重な業界への贈りものと感謝しているところです。さらに拝見した技術の中に「神代」丸太から製材したとそっくりな着色加工が施された製材があり、素朴な美しさに感銘を受けたものでした。

 50年代の木材は橋梁材の一部にも利用されていました。地方の一部の公道でしたが、橋の桁材として木材を納入するに当たっても所定の強度が求められるわけですが、当時の製材工場には強度試験の施設が無いことから林産試験場にお願いし、長材の道産トドマツ試験では所定の強度が確保できないということで、北洋のシコタンカラマツで行ったところ指示された強度が確保され、橋工事発注先の開発局や土木現業所に無事納入したこともありました。近年は木材の利用範囲からこうした需要が消えつつあるのは残念な思いがします。

 木材業界は長引く景気の低迷や外材との競合で、経営の環境は容易ではありませんが、木材は安全性の高い循環可能な資源、健康な資材として高い評価を受けるように価値観が変わったことはありがたいことです。人々の暮らしにこんな素晴らしい要件を備えた木材こそ、他に見ることのないチャンピオンだということ、私たちは自信を持ってその提供者としての崇高な意識を需要拡大へつなげて行かなくてはなりません。

 北海道立林産試験場が全国的に最高の試験研究機関としての真価を出し切って、突き進んで頂きたいと期待します。そのためにも北海道林産技術普及協会は業界の幅広い参画のもとで、意見と知恵を出し合い、文字どおり一体感で成果の普及に努めていかなければならないと考えます。協会に関わる一人としてその運営発展に努めたいと、思い新たにしているところです。