林産技術普及協会 創立50周年に寄せて 

丸善木材株式会社 会長  鈴木 通夫

 私が林業 林産業に係わりはじめたのが昭和29年4月、協会と係わりをもったのが昭和30年だから以来47年、自分の人生が協会の歴史と多くの事柄で重なっている事に気付く。ある事は懐かしかったりあるいはもっと深く追求できたらと後悔の残る事柄もある。協会においては林産試験場と一体となり試験・研究開発の成果の公開、講習等で様々な情報を提供し、我々は勉強の機会をもらい、それをビジネスチャンスにすることも多くあった。そんな思いの一端を書きとめて見たい。

 昭和30年 二葉熱化学製熱風式木材乾燥装置の導入による乾燥技術の講習受講と技術指導をうけて以来、製材技術や鋸目立て技術そして昭和48年には弊社の大きな転機となった木材防腐処理施設の導入による防腐加工技術の習得など基礎的な技術から時代の変化を見据えた技術まで事あるごとに普及協会および林産試験場にご指導いただいたが特筆すべきは北海道ブランドのログハウスとして「北海校倉ハウス」が建築基準法38条大臣認定を受けたことだ。昭和57年頃林産試験場が試験研究のため導入したログ部材加工機械の運用を協会に委託、協会から技術移転を受けた我々は厚岸浜中地区において道産カラマツのログハウス製造を行なうべく昭和58年5月「厚浜木材加工協同組合」を設立した。当時ログハウスを建設するには個別に建設大臣の許可を得るため非常に多くの時間と費用を要しログハウス普及の足かせになっていた。そこで林産技術普及協会を申請人とし予想される30棟のプランを作成して一括評定を求める事とした。林産試験場の蓄積した技術.試験データを駆使した30のプランは「北海校倉ハウス」として認定を受けることとなった。同時に普及協会内部会として「ログハウス建設部会」の発足を認めてもらいPR普及活動、指定工務店講習会等普及活動を進め道内に多くの北海道産材によるログハウスが作られた。「北海校倉ハウス」の実績や技術基準をベースに平成2年、旧建設省は300u以下のログハウスについて規制を緩和し工法のオープン化を行った。これによって丸太組工法は木造建築の1つの工法として市民権を得、本格的なログハウス普及の時代が幕を開けた。平成13年ログハウス建設部会はその社会的使命を終えたとの共通認識のもとに解散をした。
 
この間、普及協会の常任理事の方々や林産試験場丸山副場長をはじめ多くの方々に多大な協力をいただき情熱を持って新しい事業に挑んだ事は業界人として大変な幸福であった。関係の方々には心から感謝したい。

 あるときには国や道の木材産業振興事業についても その受け皿になってもらったり委員の人選をおねがいしたりもした。昭和61年度地場工業デザイン高度化特定事業では木製野外施設のデザイン開発をテーマとし、東海大学から大矢次郎教授を委員長に布村・大野・三上教授にデザインを、伊藤・丸山博士にアドバイザーとして参加いただき地域のデザイン開発力などのレベルアップを図るこの事業においては多くの試作品が作られ又長期にわたる展示の機会を得、木の可能性を探るきっかけとなる。昭和63年には厚岸木材工業(協)において針葉樹集成材による商品デザイン開発、翌平成元年には厚浜木材加工協同組合を事業主体とした新商品開発事業と年々開発事業は活性化し多様な広がりをみせ様々なチャレンジのあしがかりとなった。そうした取り組みと普及協会の推薦により平成2年5月には社団法人日本木材加工技術協会より「木材加工技術賞」を受賞する名誉をえた。

 地場工業振興対策事業を導入したおりにも記憶に残る事柄がある。事業を進めるにあたり会議の場所を南富良野金山湖に立つ丸太組工法としては日本最大の総床面積1200平米というログハウス建築である『ホテルラーチ』などを利用したリゾート会議を開催した。旭川・札幌市から学識経験のある委員、釧路からワーキンググループの設計集団がとともにリラックスした雰囲気のなか時間制限のない集中討議でたいへんに盛り上がり有意義な時間を共有した。

 このような積み重ねにより今、地域に木をよく知り、正しく扱い、その良さを伝えられる人材が多く育った。次第に人々の意識も変わり学校、公共施設の木造化、住宅やエクステリア、内装.家具などのデザインにも木を中心に考える人が増えた。さらにCO2の吸収・固定など環境に対する意識の高まりとともに地域材の重要性を理解し選択してもらえる地盤が整いつつあるように思う。

 「社団法人北海道林産技術普及協会」は私にとってある意味大変都合のよい存在であった。質の高い知識や技術を地域に根付かせる人材を投入してもらい時には事業の受け皿にもなってもらった。今はどうだろう・・・私のように協会を利用して何か事業を興そうとする意識が業界にあるだろうか、今後は協会の側からも林産振興に関する国や道の制度に林産試験場や工業試験場の技術をアレンジし地域に仕掛ける機能を期待したい。

高橋秀樹会長のもと協会の益々の発展を祈りながら思い出の一端を締めくくることとしたい。