−ウッデイ エイジ No.5511999年7月号)−
ログハウスの基礎知識

北海道立林産試験場 丸山 武

 

 ログハウスとは

 ログハウスというのは,皆様ご承知のように,木材を横に積み上げて造った,いわゆる組積(そせき)造りという構造で定義されるもので,これは世界各地で古くから存在しているものです。わが国では「校倉(あぜくら)造」という言葉がありまして,ログハウスと同じ意味で使われることもあります。建設省告示では「丸太組構法」と呼んでおり,これは英語のlog constructionのそのままの訳ですが,ログハウスとか丸太組構法とかいろいろな呼び方がされますが,一般にはログハウスで通用すると思います。

 部材は,円い断面,原木そのままの断面で使われる場合が多いのですが,現在日本で使われている部材の断面は(この部材のことを校倉からとって校木(あぜき)と呼んでおりますが)図−1のような種類があります。

 部材加工の方法には手作業による「ハンドカット」と機械加工による「マシンカット」があります。ハンドカットは丸太原木の断面をそのまま生かしてチェーンソーなどで,加工するもので,マシンカットは工場で真円,楕円,矩形など,様々な断面にプレカットするものです。また集成材から加工したもの,サネ加工したものなどもあります。

 部材は横に積んで行くわけですから,円い状態のままでは転がってしまいますので,溝加工やノッチという加工をします。

 また,気密性の改良を兼ねて実(さね)加工をして,部材を組み合わせることもあります。このように加工された校木は交互に組まれるわけですが,このように交互に直角に組んだ所を「交点」と呼びます(図−2)。その交点の組み方としては,現在,日本で技術基準で認められているのは,プロジェクトタイプといい,壁の交差部で部材が外側に突き出るような使い方をするように規定されています。図の下の方はいわゆるフラッシュタイプと呼ばれているもので,「突き出し」が出ていないタイプです。つまり,箱形になるわけです。このような組み方もありますが,こんな場合は図のような加工をして組み合わせて行くわけです。

 

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 ログハウスの歴史

 木材をこのように横に組み上げていく方式の構法はかなり世界中に広く分布していて,とくに木材資源の豊かな所,あるいは過去に豊であった所,そんな所に同じような原理で,この構法が存在しているようです。地域的には,ヨーロッパ中部,スカンジナビア半島,ロシア,中国東北部,朝鮮半島などに見られます。北米にもログハウスがありますが,これはスェーデン等からの移民によって伝えられたものだと言われていて,原理的には北欧と同じ様式のものです。

 わが国にも,古くから校倉として造られていて,奈良の正倉院や唐招提寺などに遺構として,現在もしっかりと残っております。図−3は,校倉造りの交点部分を取り出したものですが,部材の断面が三角形になっていますが,三角形の頂点部分は面取りをしてあるので,正確には六角形ということになります。三角形の断面は頂点を外に向けるように積み上げてあります。建物の外側にシャープな角を向け,内側は平面の壁を構成するので,ものを納めるのに都合良くできているわけです。「校倉」という名が示すように,これはもっぱら倉として使われており,日本の校倉は住宅として使われた歴史はないようです。ものを納める建物で,ものを収納するのに適した構造になっています。ここに三つの特徴を示しておきます。

@ 外観にシャープな陰影を出してデザインを強調し,内部は平坦な面を作って使いやすくする。
A 横木相互の接触部が細い線になるので,平行面や水平線を設定しやすく,施工精度を高めることができる。
B

横木が乾燥に応じて収縮・膨張するためには細い接触面が有効。また外側がシャープなので日射を遮り,室内温度を上昇させない効果がある。

 日本の校倉造りは,もっぱら倉庫用として利用されていたものですが,非常に古い時代まで遡ることができ,平安時代まで建てられていたと記録に出ています。平安時代以降は,木材の使用量が極めて多いとか,その後の木材の加工技術が発達したことによって,次第に建てられなくなったようです。

 ですから,現在わが国で建てられているログハウスは古来の校倉造りの伝統は,直接には受け継いでいないと言えます。

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 それでは,北海道におけるログハウスの歴史はどうなっているのでしょう。それは明治の初期に遡ることができます。北海道工業大学の遠藤名誉教授は,このあたりについてかなり詳しく調査研究されておりまして,その調査によりますと,当時の開拓使長官黒田清隆はロシアの防寒建築に注目して,これを北海道に導入することを試みています。今からちょうど百二十年前の1878年,黒田長官はロシアの沿海州ウラジオストック,樺太のコルサコフを視察して,いろいろと建物を見て廻った中で,このログハウスというものに注目して,これが北海道に適したものであると考えました。そしてログハウスを建てる職人をロシアから連れきて,その後何棟かの実験家屋を建てております。図−4はその中のひとつで,篠津太の屯田兵屋です。詳細な記録はありませんが,おおまかに間口3.5間,奥行き5間,17.5坪,当時の標準的な屯田兵屋のようです。

 これに使われた材料はトドマツ丸太で,28センチ前後の太さのものであったと書いてあります。この頃としては珍しく,キチッと窓枠をとり付け,内部には中央に暖炉も設けてありました。当時としてはかなり進んだ住宅だったと言えるでしょう。このログハウスは学校,官舎,屯田兵屋などに二十数棟建てられたいという記録が残っています。開拓使としては寒いロシアの地域で使われている構法なので,今後大いに普及すると期待したようですが,現在には広く普及するという状況には至らなかったわけです。

 その原因は「苔詰め」という作業が上手くいかなかったせいだとされています。丸太は当時としては当然,生材を使いますが,次第に乾燥が進むのに従って,丸太と丸太の間に隙き間が出来ます。今日では普通グラスウールなどを使ってこれを塞ぎますが,当時は「苔詰め」といって乾燥した苔を使いました。これがなかなか上手くいかなかったわけです。結局,隙き間が空くと,隙間風が入ってくるので,非常に寒い建物になってしまいます。この隙き間をいかに埋めるかということが,ログハウスの居住性を高めるひとつのポイントになってきます。

 これに失敗しますと,いかに大きな径の丸太を使って,壁の厚さを厚くしても,寒冷地の建物には向かないものになってしまいます。これが基本的にログハウスが普及しなかった原因のひとつとして挙げられています。それから建設費が高くついたということも原因として挙げられます。その他に,このような荒削りの建物がそれまでの伝統的なわが国の繊細な住文化に基本的に馴染まなかったのではなかろうかとも思われます。

 参考までにロシア沿岸州で最近見かけられた建築途中のログハウスを図−5に示しました。部材相互には「苔詰め」が行われており,交点部分はフラッシュタイプになっています。

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 ログハウスと建築基準法

 ログハウスがわが国の建築の歴史に再び現れるのは1970年以降です。その頃のものは,もっぱら北欧などから輸入されたもので,建築基準に規定のない構法として,建築基準法第38条「建設大臣の特認」という手続きを経て初めて建てられるものでした。

 北海道立林産試験場では,1980年に図−6のような円柱切削機をドイツから購入して,これで加工した等断面のカラマツ円柱材をログハウスに使っていくための試験を始めました。これはカラマツ材の用途拡大を目的としたものでした。ところが,これをログハウスに使っていくためには,38条という厚い壁をクリアしなければなりません。そこで,当時このマシンカットを手がけ始めたメーカー数社に組織をつくってもらい,林産試験場ではログハウスの基本構造の耐力試験や実大建物の加力試験などを繰り返しました。38条の 特認というのは,建物の水平耐力を自ら実験で決めていくという作業が必要になりますので,こういった実験を林産試験場で担当し,「北海校倉ハウス」として特認を取得したわけです。

 その頃,国際的にはわが国に対する市場開放と規制緩和の要求が非常に高まってきておりまして,建設省では基準認証制度の枠を取り払っていくという方針を出しました。そのひとつが,「ログハウスの技術基準」でした。この法改正の作業は短期集中的に進められ,1986年に告示として出されています。これがいわゆるログハウスのオープン化です。

 これ以前からログハウスには静かなブームがあって,愛好家グループからは早くから基準制定の声も高まっていたのですが,それまでは政府はなかなか腰を上げなかったのです。そこに「外圧」が高まったという背景があって,2年という非常に短い期間に技術基準ができ上がったわけです。

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 ログハウスの耐震性能

 ログハウスの構造設計で一番重要なのは,地震に対する性能,いわゆる耐震性能ですが,これについて,3年前に起こった阪神・淡路大震災の時に,いろいろな建物の被害調査を行った中で,ログハウスについての調査もおこなわれています。これは表−1に示す11棟についての調査ですが,面積は10m2から百数十m,用途も材料もさまざまです。その多くは輸入品のようですが,これらの11棟の被害状況の調査では,倒壊被害は皆無でした。その調査結果をまとめると次のようになります。

@倒壊,大破といった大被害はなかった。

A耐力壁の残留変形で最大のものは1/48だった。

B基礎(布基礎,独立基礎)に被害を受けているものはなかった。

C地盤に被害を受けているものはなかった。

D変形が残っている建物でも,屋根の被害はなかった。

E建物設備に被害を受けたものはなかった。

F調査で観察された被害は次のようなものである。

1)壁交差部におけるすき間(50mm前後)。

2)建具枠と壁の間のすき間(10mm前後)。

3)間仕切壁と丸太壁との間のズレ。

4)ドアなどのたてつけが悪くなった。

この程度の被害で済んでいるわけです。

 地震力は建物の横から水平力がかかるわけですが,これを実験的に再現した一例が図−9です。これは富良野の「富良野塾」で使われているログハウスを使って,水平力に対する変形を求めたものです。通常許容変位として1/120ラジアンという値が使われますが,この変位を相当上回る荷重までかけた実験です。この荷重を取り除くと,この変位はほとんど戻りません。非常に大きな残留変位を残すというのが,ログハウスの水平荷重に対する大きな特徴であります。従って,先程の震災被害の調査でも,残留ひずみの大きさが指摘されているのは当然なわけです。地震で大事なことは,倒壊に耐えて,決定的な被害を出さないということですから,今回の阪神・淡路大震災の中でログハウスは非常に耐震性の高い建物であることが実証されたわけです。

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 ログハウスの居住性能

 ログハウスの場合,耐震設計のほかに,断熱性,気密性という,非常に大きく居住性能に影響する要因があります。ログハウスは技術基準が出来たから,住宅金融公庫の融資対象になっており,住宅金融公庫融資住宅丸太組構法住宅工事共通仕様書というものがあります。その中に断熱性基準があります。それを見ますと丸太組壁の熱貫流率の計算方法が定められています。

 これを直径25cmのスギの丸太を組んだ壁で「重なり」が径のおおよそ半分という条件に当てはめますと,その丸太組壁の熱貫流率は0.432(Kcal/m2h/℃)になります。仕様書では全国の地域をTからXに区分して,区分毎に必要な熱貫流率を決めております。北海道は第T区分で,ここでは0.35以下が要求されています。従って,25cmスギ丸太の壁ではこれを満たさないので,その壁を丸太だけで構成する場合にはその直径は30cm程度が必要になります。北海道以外の地域では25cmの直径の丸太で断熱性基準をクリアーできます。

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 名古屋大学の平嶋教授は全国のログハウスの断熱性・気密性試験を実施しておりますが,その中の一つで,釧路管内浜中町に建てられた,北海校倉ハウスのモデルハウスの内外温湿度を測定した例を図−10に示します。

 これは1988年の冬の1週間の記録です。人はまだ入居しておらず,暖房は入っていません。外気温が最低マイナス10度,昼間は3〜4度ぐらいの温度変化の中で,室内の温度変化は極めて穏やかです。湿度の方も,屋外では日中と夜間では30%から80%の変動があるのに,室内では1日を通して約60%の極めて安定した湿度を示しています。つまり,ログハウスは外気温・湿度を緩和して穏やかな居住環境を作り出していることを示しています。

 ここで大事はことは,気密性です。気密性が確保されていないと,断熱性は発揮されません。つまり,先程の金融公庫の計算例で壁の熱貫流率を計算して,十分な断熱性能を確認できたとしても,気密性能が悪いと,建物としての断熱性能は計算値よりもはるかに落ちるということがあり得ます。ログハウスの断熱性能は,平嶋教授の測定例から,施工毎のバラツキがかなり大きいことが認められます。この事実をしっかり認識してキチッと施工したログハウスは非常に気密性が高く,断熱性も高いという結果を示しています。

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 ログハウスの建築動向

 北海道林務部(現在水産林務部)は1985年から毎年,北海道内のログハウスメーカー,商社に対して,ログハウスの建築動向についての書面調査をおこなっています。それをまとめてみたのが表−2です。

 1985年から統計が始まっていますが,1990年には200棟台のピークを記録しています。しかし,最近に至って激減している状況がわかります。この大きな伸びを示した時期はいわゆるバブル経済の時期で,バブルがはじけ,経済が縮小するとともに,ログハウスも景気低迷の影響をもろに受けているということが理解されます。

 これとは別に,丸太組構法が1990年にオープン化されてからは建築確認申請が出されているわけですが,建設省ではこの数年をまとめて月毎に発表しています。

 これでは,92年,93年に非常に大きな落ち込みは見られますが,全国的な数字を見ますと,大体七百棟程度,そのうち北海道のシェアはおしなべて見ると6%ぐらいといったとことです。ログハウスの確認申請数は,確認申請が不要な地域に建てられている場合は,この統計には載ってきません。また,ログハウスは確認申請が不要な地域に建てられるケースが非常に多いのです。したがって,ログハウスの実際の建築戸数は,この統計の数倍の2千棟から3千棟に上がるのだろうと想像されます。これを先程の北海道内の数で比較して見ると,平均して確認申請数の2.5倍が道の水産林務部の調査の数に対応しております。

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 おわりに

 現在のわが国のログハウスは輸入されるようになってから30年,オープン化されてから僅か12年という非常に浅い歴史しか持っていません。その間,全国各地で,地場産材を使った独自のシステムのログハウスが開発されてきました。北海道ではカラマツが主として使われてきましたが,一般建築材としてはなかなか使ってもらえなかったカラマツを,このログハウスの中では極めて抵抗なく受け入れられてきたということが言えます。

 数量的には極めて僅かではありますが,これらは人工林材の「用途の拡大」,「付加価値の向上」に貢献して来たことは,それなりに評価されるべきでしょう。北海道のカラマツも今や中・大径化しております。今後はもっと太いカラマツを使った,立派なログハウスが建てられる時代が近づいてきています。

 また,最近,「健康住宅」という言葉がよく使われるようになってきましたが,「高断熱・高気密」の住宅が普及して,住宅内部で使われている化学物質が室内に放出されて住居者の健康を損ねているという問題が指摘されています。ログハウスはこの点で,一般住宅と比べて,これらの化学物質の使用量が少ないということが言えます。つまり,ログハウスは健康住宅そのものということができます。また先程,阪神・淡路大震災のところで説明したように,非常に地震に強かったということ,さらに火のも非常に強いということです。今までは「木は燃える」と言われてきましたが,丸太がある程度以上の太さになりますと,火にも強いということが証明されています。ログハウス市場の拡大にあたって,これらの長所は有力なセールスポイントにしてゆけるのではないかと思っております。

引用文献
1) 日本建築センター編:丸太組構法技術基準・同解説1009年版,日本建築センター
2) 木造建築研究フォーラム編:図説木造建築事典「基礎編」,学芸出版社(1995
3) 杉山英男:北アメリカの古い木造建築の構法,建築雑誌,Vol.98No.1214198311月)
4) 飯塚五郎蔵:校倉(あぜくら)住宅の構造と耐力,建築界,Vol.23No.5319751月)
5) 遠藤明久:開拓使におけるロシヤ建築技術の導入(その1),日本建築学会論文報告集,第202号(197212月)
6) 日本建築学会北海道支部編:寒地建築教材概論編,彰国社(198211月)
7) 丸山 武:カラマツのログハウス,季報No.54,北海道カラマツ対策協議会(1989年)
8) 木造住宅等震災調査委員会:平成7年度阪神・淡路大震災木造住宅震災調査報告書(199510月)
9) 丸山 武,長谷川雅浩:校倉式建物の水平加力試験,日本建築学会学術講演梗概集(198510月)
10 住宅金融普及協会:住宅金融公庫融資住宅丸太組構法住宅工事共通仕様書(平成5年度版)
11 石井 誠,松村博文,丸山 武,大矢二郎:ログハウス壁体の断熱性能,日本木材学会北海道支部講演集,第18号(198611月)
12 平嶋義彦:ログハウスの温湿度環境測定と断熱性に関する研究,日本ログハウス協会機関誌「ログハウス」,No.13199010月)

 この講演は平成1073日,日本木材学会北海道支部の第29回研究会(ログハウスの現状と将来)の中でおこなわれたものです。講演者と主催者(日本木材学会北海道支部)の許可を得て掲載しています。